イランで手打ちラーメン作りに挑戦! イランでハンバーガー作りに挑戦! イランで餃子作りに挑戦! 初めて断食を体験した日 イランの歯医者さん体験 子どもの虫歯の治療は??? その後・・・・・ |
イランで手打ちラーメン作りに挑戦! イランだとラーメンないんですね。 強力粉100g、薄力粉100g、水100ml、重曹2g これが捏ねても捏ねても、思ったようなつるつるの生地にならないのです。 (2003年11月2日記載) |
イランでハンバーガー作りに挑戦! イランだとハンバーガー・・・ありますね。 (2003年11月2日記載) |
イランで餃子作りに挑戦! 今までの中で一番手のかかる料理でした。 餃子の皮(約30枚分):小麦粉(イランのお店で買ったWHITE FLOURという粉)2カップ、塩小さじ1、お湯約160cc(生地の状態で加減します) 始めに、ニラの傷んでいるところを1本1本綺麗に取り除きます。日本みたいに綺麗なものだけが束になって売っていないし、泥も付いたままだから、いいところを分けてきれいにする作業で数十分かかってしまいました。 具の作り方は、皆さんご存知かと思いますが、一応私の作ったやり方を紹介します。 そして、皮作り。小麦粉に塩を混ぜて、お湯を3回位に分けて加えながら、しゃもじなどで混ぜます。全部混ざったら、手で捏ねて、生地がある程度まとまったら、テーブルなどの台の上に出して、さらによく捏ねます。耳たぶくらいの硬さが目標です。あまり硬かったら、お湯を足して調節します。表面がつるつるの生地になったら、棒状に形を整えて、20分位休ませます。その後、端から5o位(太ければ大きな皮、薄ければ小さな皮になります)の厚さに切り、麺棒で平たく伸ばします。このとき90度ずつ皮を回転させながら、麺棒を皮の真ん中から上下に転がして平たくします。形がいびつでも、具を包めば気にならないです。 そして、皮に具を包んだら、フライパンで焼きます。 (2004年1月6日記載) |
初めて断食を体験した日 昨日の夕方、ルーゼ(断食)をしてみようと思いたった。 早速、夜、義母のところに行き、ナマーズ(礼拝)のやり方を教わった。ナマーズをノートに書き留めたのだが、難しくてナマーズは出来そうもないと思い、形だけをやることに。義母にサハールの時間などを聞き、朝は4時半に起きることにした。 そして、予定通り、今朝4時半に起きたのだが、こんな朝早くにとても食べる気にはなれずに、牛乳をコップ1杯だけ飲んで、また寝てしまいました。そして、今度は8時に起床。着替えてから、ナマーズを自分なりにやってみる。9時半になると、長男が焼きたてのバルバリーを買ってきて、思わず食べたくなってしまいました。 朝食後には、いつも行っている公園より、少し遠くにある公園へ行き、子供達とサッカーなどのボール遊びをしました。スポーツをすると喉が渇きます。そして、お昼。夫と子供達のご飯は、残っていたおかずとご飯が冷蔵庫にあったので、それを温めて、サラダだけを作りました。朝にサハリィ(日の出前の食事)を食べておけばよかったと、この時、後悔したのでした。 午後になると眠くなってきましたが、エフタリィ(日没後の食事)を作ることに。 テレビから、アーザンが聞こえ始めると、夫が私のところに来て、「もう食べてもいいよ。」と教えてくれて、「始めは紅茶かアベジュッシ(お湯)がいいよ。」と、紅茶を入れてくれました。初めてルーゼをやる人には、神様が願いを叶えてくれるそうで、断食後に何かを口に入れる前に、願いを言うのだそうです。私は、神様に願いを言った後、「ベスメッラーヘ ラヘモーネ ラヒム」と唱えて、紅茶に砂糖を少し混ぜて、ゆっくり飲んだ後に、コーンスープをいただきました。とても美味しかったです。 <感想> 1.食べない分、自分の時間が増えること 健康に良いかどうかは、未だ実感できず分かりませんが、多分正しい断食をしていれば、きっと身体にいいと思っています。ナマーズは、徐々に覚えようと思います。 (2004年10月29日) そして、次の日・・・ また4時半に起床。今度はしっかりパンにジャムと生クリームをつけて食べた後、卵をオムレツ風に一個焼いて食べ、牛乳一杯と、紅茶を半分ほど飲んで、この日の断食が始まりました。 今日は、平日なので、長男が学校に行く日です。6時には、長男が小学校に持って行くおやつのホットケーキを作らなければいけないので、このまま起きていることに。ペルシャ語の勉強をして、それまでの時間を過ごした後、ホットケーキを作り、長男を起こして、朝食を食べさせて、学校のタクシーに乗るのを見送った後、後片付けをして、7時過ぎから次男が起きる9時過ぎまで、また就寝。 お昼ご飯には、コッテレット(イラン風ハンバーグ)を作ることに。焼きたてのコッテレットを食べられないのは残念です。見ると食べたり飲みたくなってしまいますが、見なければ、それ程空腹を感じることはありません。 今から、約1ヶ月断食を続けようと思います。 (2004年10月30日) 3日目 今日は、サハリィにキャベツとトマトのドルメを食べました。 (2004年10月31日) その後の断食 何故か、断食が好きになっていた私。朝起きるのは辛いけど、ずっと続けようかな〜と、思ったりもしていた。そして、ラメザンを過ぎてからも、ラメザン中にできなかった分の断食を続けていたのだが、それに気づいた義母が、私にこう言った。「もうラメザンが終わっているから、断食しないで。寒いからやせちゃうよ。今の時期、一ヶ月に1、2回やればいいよ。」と。体重は、まったく変わっていなかったのだが、そう言われて、素直にその日で断食を終わりにすることにした。合計で、20日間やった計算になる。 私が断食を気に入った一番の理由は、サハリィを食べる時。 こういう理由で、断食をするのは、真剣に神様を信じて断食いる人から見れば、「何なんだ?」と思われてしまうのかな? こうして、私の初めての断食は終わりました。 |
イランの歯医者さん体験 「イランの歯医者さんって、こんなもの?」と思った一人目と、その考えを改めさせられた2人目の歯医者さんのお話。 一人目の歯医者さん 一回目 今から、4ヶ月ほど前に、初めて夫とイランの歯医者さんに行きました。その先生は、若い女性でしかも美人のイラン人の先生でした。私は、右下の奥の歯がゴウジェサッブズ(青い梅?)を食べる時に少し痛みを感じたので、見てもらうことにしたのでした。その歯は、日本で9年ほど前に一度治療したところで、右の置くから2番目と3番目の歯が銀色のもので詰めてあったのですが、レントゲン写真を撮ってもらった後、その2つの歯の詰めたところが割れていて、虫歯になっているとのことでした。 「神経を抜いたほうがいい。」と、先生の言っていることを夫が通訳しましたが、それほど痛くない歯を何故神経を抜かなくてはいけないのか?神経を抜くのは嫌だと思い、それを私は拒否しました。そして、神経を抜かずに治療することに。 この日は、歯の磨き方を歯のサンプルと歯ブラシを使って、美人先生は丁寧に教えてくれました。ここまでは良かったのですが・・・。 治療日を予約し、この日は帰宅。 二回目 そして、治療日。治療方法は、銀を削ってその下の虫歯を治療し、白いものをかぶせるというものでした。美人先生は、薄いビニール手袋をして治療を始めました。この点は、衛生的でいいなと思いました。 始めに麻酔の注射を打たれました。今まで、歯の治療時に麻酔をするのは神経か歯を抜く時だけだったので、大袈裟だなと思いました。麻酔が効いたところで銀を削り始めましたが、それがなかなか終わらない。「(銀の詰め物が)すごく硬いよ。」と言って、1時間位かかりました。その間、一度も口を閉じることもできず、「うがいして下さい。」の一言もなかった。治療後も、うがいするためのお水をくれなかったので、「アブ ミディ(お水をもらえますか)?」と最後は自分で言い、お水をもらってうがいしました。 そして、もっと酷いと思ったことは、歯を削る為のドリルが、唇に当たってしまったことです。少し、皮に傷がついた程度でしたが、こういうことがあると怖いです。美人先生もそのことに気が付き謝っていました。 それから、これは想像できたことですが、治療をしながら、他の人が来ると、治療の手を止めて、おしゃべりを始めること。こっちは口開けっ放しなのに! 「イランだとこんなものなのかな?」などとこの日思い、がっかりするともに非常に疲れてしまいました。そして、この日は、時間がかかりすぎたために、奥から3番目の歯のみを治療し、次回にもうひとつの歯を治療することに。治療日を予約し、帰宅。 しかし、この日麻酔が切れた頃、治療したはずの歯が、治療する前よりも痛くなっていたのです。 三回目 この日は、前回の治療ですっかり嫌になっていましたが、もう1つの歯も一回目の時に半分位削っていた為、仕方なく治療してもらうことに。前回同様長く時間がかかり、また唇にドリルを当ててしまった美人先生。しかし、今度は「私は何もやってないよ。」と非を認めず、唇が乾いているせいで切れてしまったと言っていた。 帰宅し麻酔が切れた後、やはり、治療前の痛みは変わらないどころか逆にもっと痛くなっていた!イランの美人先生にかなり頭にきていた私。 もう、この先生には、二度と見てもらいたくはない!と思っていたのだが・・・。 治療後の歯は、食事の時、冷たいものだけでなく暖かいものでも痛みを感じるほどになって、右の歯で食べるのが怖くなった。夫にあの美人先生以外の歯医者さんに連れて行ってほしいと言ったのだが、仕事が忙しくてなかなか連れて行ってもらえなかった。 そして、数週間後、もうこれ以上我慢できない!どうしようもなくなって、頭にきながらも、再び美人先生のところへ・・・。 四回目 この日、私と子供達だけで歯医者さんに行く。ペルシャ語の分かる長男がいるから、夫がいなくても少し安心だ。美人先生に見てもらうと、奥から2番目の歯の白く詰めたところを銀のものを詰め替えると言っていた。そのほうが、染みないよ、というのが理由だった。この日も約1時間ほど治療に時間を費やした。。相変わらず休憩なしで、うがいのお水はくれないので、最後に「アブ ミディ。」と言い、お水をもらってうがいしました。 そして、悪い予感は当たり、治療後も痛みはほとんど変わりなし。 もうすっかり、歯医者さんが嫌になってしまった自分。歯を治したいという気持ちはあっても、当分は行きたくなかった。 そして、4ヶ月が過ぎ、夫がやっと別の歯医者さんに連れて行った。 一回目 夫が連れて行ったのは、前の歯医者さんと同じ場所だったが、先生は別だった。曜日によって先生が変わるらしい。30代位の男の先生だった。助手の女性は前の美人先生の時と同じ人だった。 その男の先生は、どこが痛いのかを聞き、歯を器具で叩いて、痛いかを聞いた。それが痛くなかったので、次は別の器具を使って歯に風を吹きつけた。今度のは風が歯に染みて痛かった。次は、先が尖った器具を、歯と歯の間に入れ、下から上に持ち上げるようにした。歯の痛いところが、その器具に引っかかり、とても痛かった。奥から三番目の歯の横が、穴が開いているようだった。美人先生が、ちゃんとそこを治療していなかったのだと私は思った。 レントゲン写真を撮り、虫歯菌が神経まで届いているから、神経を抜かないといけないと説明された。レントゲン写真を見せてもらうと、歯の横から黒いものが細い道のようなものを作って、神経まで届いているのが分かった。 助手の女性が、「この位の痛みなら、普通ならまだ我慢して神経を抜かずに使うよ。」というようなことを言っていたらしい。イランだとこういう感覚なのか。でも、毎日ご飯を食べるたびに痛い思いをするのは私はごめんです。神経を抜くことにしました。 この男の先生が、前の美人先生と違った点は、すぐに痛い場所が分かったことと、診察後、コップにお水を入れてくれて、しかも、うがいした後にティッシュを差し出したことだ。日本でもここまでしてもらったことはない。先生によって、ずいぶん違うものだなと思いながら、私は「メルスィ マムヌン(ありがとう。感謝します)。」と言いました。 翌日また来て、神経を抜いてもらうことにした。 二回目 この日は、私と次男だけで来院。夫は仕事、長男は宿題をやらなければいけなかったので、家で1人でお留守番。 もうやることは分かっているし、神経を抜いてもらうだけと思い、不安な気持ちもなく来院したのだが・・・。 「サラム。」と挨拶した後、先生の口から出た言葉が、「チショデ(どうしたの)?」だった。(えっ?)不安に思いながら、診察台に座る。今日は助手の女性も違う人だ。「あの人の名前は何だ?」と助手の人と話しているのが聞こえたので、「○○です。」と私は答えた。預かってあった歯のレントゲン写真を先生に渡した。「何処の歯が痛いんですか?」「奥から3番目です。」と私が答えると、「忘れちゃったよ。」とその先生。(えーっ!それはないでしょ。昨日来たばかりの外国人の患者を忘れるなんて??)「昨日夫と一緒に来ましたよ。」と私が言うと、「知ってるよ。でもどこの歯か忘れちゃった。」と言う。カルテと言うものがないのか?困ったものだ。 そして、また昨日と同じように歯を叩き「痛い?」と聞いている。そして、風を吹き付けてまた聞く。「少し痛いです。」私が答えると、「この歯ですか?」と指で指すので、鏡もなくどの歯をさしているのか分からなかったので、私が自分の指で教えようとすると、「分かった。分かった。」とその先生。本当に分かったのかな〜と不安な気持ちで、治療を受けました。違う場所をやっていないかな?確かめる術もなく。治療完了。1時間もかからず、埋めた場所の高さも一回でバッチリでした。 最後に、先が尖った器具で、一回目の時のように歯に引っかかるかどうかやっていたので、ホッとしました。ちゃんと思い出していたようです。 そして治療後は、「明日までこっちの方の歯で食べないで。薬を3、4日間朝、昼、晩と飲んで。」と、丁寧に説明してくれました。「紙に書くことが出来ますか?」と言われ、紙とペンを差し出された。そこに名前や住所、書かなくてはいけないらしい。名前を書いただけで、後は住所、年齢等を先生が私に聞きながら書いてくれました。終わりに、紙を渡され「薬屋さんに行って。」と言うので、それをもらって「ダステショマダルドナコネ。(ありがとうございました)」と言い、1階にある薬屋さんらしきところへ。 ここでいいのかどうか確信が持てず、他のお客さんもいたため、そこに立ち止まって見ていると、左の窓口からお店の男性が手を差し出すので、その紙を渡した。すぐに、右の窓口から名前を呼ばれ、「○○トマンです。」と言われ、お金を払うと、おつりに絆創膏をつけてくれていた。細かいお金がない時、イランでは、お金の代わりにその金額に見合うようなものをつけてくれたりする。そして、薬をもらい次男と一緒に帰宅した。 感想 始めから二人目の先生なら良かった。日本と同じで、医者は選ばないといけませんね。二人目の先生なら、今まで日本で治療してもらったどの先生よりも、腕はいいと感じました。虫歯の治療が一回で治るなんて、日本では経験ありません。 以下、虫歯についてのHPです。 (2005年10月3日記載) |
子どもの虫歯の治療は??? ある日の夜、8歳の長男の歯を糸楊枝で綺麗にしてあげている時に、左上の奥歯に小さな穴が開いているのを発見した。虫歯と思い、後日、義母に歯医者さんに連れて行ってもらった。しかし、歯医者さんが言うには、「大丈夫」とのこと。でも、その穴はだんだん大きくなっているように感じた。夫が別の歯医者さんに連れて行った。やはり、「大丈夫」とのこと。これは、虫歯ではないのか?では、何故穴が開いているのか?疑問に思いながら、日々は過ぎ、再び歯医者さんに見てもらうと。「まだ大丈夫」とのこと。「まだ大丈夫」ということは、やはり虫歯ってことなのか?その歯は、乳歯だけど、虫歯がどんどん大きくなって、下にある永久歯に影響しないのかどうか?とても心配・・・。 そして、10日程前、今度は次男(4歳)の上の一番前の歯が虫歯になっているのを、夜の歯磨きの時に発見した。そして、1週間後に次男は、「ママと一緒がいい〜。」と泣きながら、夫に歯医者さんに連れて行かれたのだが、約1時間後に帰ってきた夫の話では、歯医者さんが言うには、「前歯は削るとすぐに神経に届いてしまうから、治療しないほうがいい。」とのこと。しかし夫は、「それでは奥さんが納得いかないから、治療してほしい。」と言い、歯医者さんは、その歯を削って白いのを詰めた。1週間後まで、子どもが痛がらなければそこにちゃんとしたものを詰めなおし、痛がったら、神経を抜くと言っていたそうだ。 今は、様子を見ている段階だけれど、イランの子供の虫歯に対する考えは、こういうものなのか?乳歯は虫歯になっても、生え変わるから大丈夫で、永久歯が生えてきた段階で、乳歯が虫歯になっていたら、治療するのだとか・・・。 これで、いいのかな〜??? (2006年4月11日記載) その後・・・・・ あの後、偶然日本の歯医者さんから別の件でメールをいただき、息子の虫歯について聞いてみました。やはり乳歯でもきちんと治療したほうがいいこと、歯に穴が開いているところは、食べ物がはさまり易く、虫歯がさらに進行しやすくなるので、せめて埋めてもらったほうがいいことなどを、詳しく教えてくださいました。専門家の方からのご意見ですので、夫にもこのメールを読み聞かせたところ、分かってくれたようです。 次男は、あの後特に痛がらなかったので、ちゃんとした白いものを詰めてもらい、治療は終わりました。
4番目の歯については、「神経も抜かなければいけないかも。」と言っていたそうです。何故、1ヶ月前に診せた時に治療してくれなかったのか、こんなになるまで、数人の歯医者さんに見せても治療してくれなかったのは、本当に不思議と言うか、理解できないです。 長男次男とも、イランに来る約3年前まで(当時長男6歳・次男2歳)虫歯は一つもなく、長男は保育園で先生に褒められるほどだったのに、イランに来てから半年ほど経った頃、虫歯が出来始め、長男は、今では今回の歯を含め、虫歯は6本位になります。歯磨きは、日本と同じようにやっていたので、食べ物が大きな原因と思いました。 イランでは、ケーキなどは糖分が多い上に、親戚の家との行き来が多く、親戚の人がアイスやお菓子、チョコレートなどを買って子供達にくれます。私が、「虫歯になるからあげないで。」と言っても、通じないであげてしまいます(言葉は通じているけど、遠慮していると思ってる)。困ったものです。 今は、子供達に「何かお菓子をもらったら断って!何か食べる時には、ママに、これ食べていい?って聞いてから食べてよ。」と良く言い聞かせています。 イランにいる皆さん、特に、イランに親戚のいる方、ご注意ください。自分自身も気をつけないとね。私もイランで虫歯になったので、甘いものを食べるのが怖いです。イランの人は、家にお邪魔した時などに、しつこくケーキなどのお茶菓子を勧めるけど、自分が食べたくない時には断るか、あんまりしつこく勧めたら一応取り皿に取り、食べないことです。 (2006年5月1日記載) |